今日の光 明日の風

毎日出会うモノコトヒト、から何かを感じる自分を観る。言葉遊び

世界が近づくという話

世の中、何か起こっているね。

膠着し、もうどうにも変わらないという
閉塞感が当たり前になっていた。
少なくとも私はそう思わないでもなかった。
それがどうだ。

大地は至るところで揺れ

中心街で道路は崩落

政権はルールを無視し暴走

アメリカではトランプが大統領になった

激変だ。

悲観的なニュースが飛び交う。

それでも何か、絶望する気にならないのは
なぜだろう。

自分の最も手近なところで、
小さな兆しを受け取っている気がするから。

考え、想像し、見続けてきたこと。

与えられ、奪われ、期待して、諦めて、
受け入れて、最後に信じたもの。

それらのことの説明がやってきた。

ワタシのやっていること。
整体も、関係性も、形而上的な出来事も。
人が、本が、出来事が、
種明かしみたいに繋がる。
まるで、中間発表みたいだ。

ほど遠い、独りだけ、と思っていたけど、
言葉が通じる。
なにいってるかわかる。
あの事か、と引き出せる。
嬉しい。

なんだか、自分の周り、世界が
優しくなってきたみたいに感じる。
まるで世界の方が私に近づいてきたように。

つまりそれは、私が私を赦し始めた、ということかな、だったらいいな。

現実は選択出来るとのこと。

『汝の隣人を、汝みずからを愛するごとくに愛せよ』

まず、みずからを。愛する。

兎も角も、そればかり。

嬉しい話

今日、整体をした。

結果をまず言えば、
やって良かった。
というか、やらせてもらって良かった。

本当に、整体やっていて良かったなあ、と
思った。

愉気をしていたとき、
受け手の方が泣き出した。
震災のあと、ずっと泣きたかったのに泣けなかった。
やっと泣けたっていってもらえたこと。

そういう時に立ち会わせてもらえたことの稀有さ、
その涙の重み、その人の中にある沢山のこらえてきた感情と場面を思う。

泣くことで大きく揺れる体に手を添え
愉気を続ける。

私の内も、何かがいっぱいになって、
左目から涙が溢れる。

ありがとう。

響いてくれて。

手を出させてくれてありがとう。

大切な瞬間に居合わせてもらえて
ありがとう。

何にしようとも
どう変えようとも考えず

ただ、『今』の目の前の体に寄り添いたい。

未来予測もなく、方向づけもなく。
それではただ観察であって、整体ではないのでは、と思ってしまうところもある。。


それでも
今日の私は
整体をさせてもらった、整体をした、
と言おう。
言って良いと、自分に許す。

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親バカ日記

うちの子の天使っぷりが半端でない件(親バカ日記)

昨日のことになりますが、
ご飯を作っていたら、
娘がベランダに立って、何やら耳をすませているようす。

そして、
『お母さん、あの鳥はなに?なんであんなに鳴くの?』

見に行くと、欅の木にひよどりが止まって、甲高く鳴き続けている。

『ひよどりだよ。なんでだろうね。仲間を読んでいるのかもね』と、私は台所に戻った。

ふとみると、
娘は同じ姿勢でひよどりを見続けている。

耳をすますと、『ィー、イィー』と鳴き声が響く。
気にとめなかったなあ。
鳥の声。確かによくなくね、と思ってたら、
『イィー!イィー!』ともう1つ鳴き声が。
仲間がきた?と同時に若干の違和感でふりむくと、

うちの娘が鳴いてました(・_・)

かなり自然に、ひよどりに呼び掛けていました。

黄昏にひよどりと二人の世界を作ろうと真面目に呼び掛ける娘、、

こういう妖精味なところ、失ってほしくないので絶対笑いません!

自然に、にこやかに、スルーします。

で、陰で悶えますw

親ってほんとバカねw

いいの!いつまでも、私の前では天使味でいてほしいの!

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自分に帰る場所

感覚を研ぎ澄ますということ。
或いは鈍るということの必要性。

先日、狂言師山本東次郎先生のお話を伺うなかで、私にとって一番心に残ったのは、
『刺激を追えば天井知らず。どこかでぐっと堪えて、刺激から離れる。そして自分の中を観る。深く深く入っていくと、より繊細により敏感に、物事を鋭敏に感じとることが出来るようになる。』
という部分。

わかる。

思えば、私の場合は、能の世界も、シュタイナー的な感覚世界も、整体の世界も、そうだったと思う。

より微細であればあるほど、その余波はダイレクトに、或いは遠く深く響き、

極限的に簡素化された表現はその奥、向こうを観るイマジネーションを育てる。

覆いの中で幼子が守られれば、肌感覚は鋭敏に世界を感じ、順応よりも我と我が身を先ず養う。

白足袋の美しい一踏みの柔らかさは
広い能楽堂の中の水を打った静けさの中で、観客の眼差しが注力される一点、一動作であった。

アソシエイト。アソシエイト。アソシエイト。

こんな世界にいたのだ。

過敏であってもいたしかたない。
きめ細やかな、有機的な、濃密な感覚世界。

だけど、メインストリームな社会はもっと粗削りで、ハイテンションで、乱雑だ。
情報も人の動きもスピーディーで、
効率的だ。
同時に精緻にシステム化されているようにも
思うし、
冷静、理知的、客観性、
距離感の維持が求められ
強い刺激、強烈な表現、
よりインパクトのあるドラマが
なければ届かないみたいに感じる。

ディソシエイト。ディソシエイト。ディソシエイト。

私なんかは、
進撃の巨人をおそるおそる見て、
強烈な死と生の混在に、激しい動悸で呼吸困難になった四年前より、
おそ松さんで笑える今の方が、
この社会では生きやすい。
リハビリ的。
今や、ボカロだって歌えちゃう。
息継ぎする間もないデジタル。
一種の鈍りだ。
だが、それも全然悪くない。
生きるために、生きやすいように
鈍るということは生物の必然にしかず。

ふとした瞬間に、
覚えのある繊細さ、濃密さ、肌感覚を思い出すこともできる。
丁寧な手仕事や、感覚世界を生きる表現、子どもが自我に目覚める前の幼さ等々。

それで良いのかも。

今日は、ステンドグラスの欠片、
透き硝子の優しい模様に
ふと東次郎先生の言葉を思い出した。
そうだ、なるほど。

そんな敏感さを獲得してから、
それから、
行き来出来るって、やっぱり悪くない。

どの世界も、自分の属する場所なのだから。

その上で敢えて、
時おり、感覚世界に戻れることは、
自分に帰れる一時として、
本当に大切かもしれないね。

好きなことやワクワクしたり、
没頭できることなど、
感覚を目覚めさせ、自分の中に入っていく
ことは自分を助けて、大切にすることかもしれないね。

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タナトスを振り切れ

思春期とプチ思春期の子どもたちの言い争いが殺伐としてて、結構親心を射ぬかれる件😭

で、夜の一人反省会なう。

『死にたい』って言ったやつらに『死ぬ意味なんてわからないくせに軽々しくいうな』なんてキレないで、
そんなこと君たちから聞くのは悲しい、大好きだ、生きて一緒にいてくれるから嬉しいとなんで言わなかったか。

子どもが、そんな気分だった、で言った言葉の重い軽いをとがめることなんかじゃなくて、
言い放った後。
その言葉を軽々しくもつい言っちゃった人たちに、、明るい心で気を向けて
大事だよって接することの方が、
きっと私の仕事だったんじゃないかと…。。
例えば大好きだよという言葉の優しい響きを聞かせること。
笑って、生きているから嬉しいんだー、という明るさとか。

私はいつも、死という言葉、人生が損なわれることへの強迫観念に気をとられ過ぎる。

生きる喜びを
肯定するような姿を見せること。

これまでに出会った『死』たちと、それにまつわるストーリーに縛られず、耽溺せず、
生きていてそばにいる人に
気を強くしっかり向けることだ。

『死』によって別れた人たちだって、
私が『死』にまつわる恐怖、不幸みたいなものに縛られていることを全然喜ばないだろう。
それは傲慢な自己倒錯だとわかってる。

もう、卒業するんだ。
望まれたわけでもないのに、子どもの頃から引きずっていた喪を明けて、目の前の命の強さ、明るさを観よう。
その方が、今、大事な気がする。

昔々あるところに

女の子がいました。

ちょっと不器用だけど、
生き物が好きで、 
植物が育つのを見るのが好きでした。

そんな女の子に、お祖父さんは
自分の畑で育てるとうもろこしの種を三粒くれました。

女の子はよろこんで、
隣の空き地の隅っこに撒きました。

やがて、
細長い、今にも干上がってしまいそうな芽が出ました。

女の子は育てかたを知らなかったので、
ただただ見に行きました。

お水だけは、地面がひび割れてくると
運んできてかけてやりました。
とうもろこしより強そうな草が邪魔しにきたら、抜いてやりました。

とうもろこしはゆっくり、
毎日毎日育っていきました。
そこは、ススキの多い痩せた土地のはしっこで、そのためか、とうもろこしの茎も細くて背も小さかったのですが、

女の子は楽しみに毎日見つめていました。

ある日、小さなほうきのような花が咲きました。

それから、葉の根本から、
一つ、また一つと小さなとうもろこしのふさが現れました。

女の子は大喜び。

兄弟たちもみに来ると、
『私のとうもろこしがなった。』と
自慢しました。

暑くなりましたが、とうもろこしはちょっとずつしか大きくなりません。

女の子は心配です。
おじいさんやおばあさんに聞いても、
『肥料やってないからねえ』と言われるばかり。

水をあげながら、見守ることしか
女の子には出来ませんでした。

ある日、おじいさんとおばあさんがきて、
『お前のとうもろこしもとろう』といいました。庭の畑も立派なとうもろこしが実っています。

女の子のとうもろこしは相変わらず小さかったけれど先っちょの髭が黒く縮れてきていたので、おじいさんやおばあさんは声をかけてくれたのです。

とうとう!!

女の子はずっと見守ってきたとうもろこしを
もぎました。
一つは小さいけれど固く芯があり、パキッと音をたてました。

あと二つは、小さく干からびた芯と髭以外何もはいっていませんでした。
手にもってもぶかぶかし、
ずるっと茎から離れ、女の子は
がっかりしました。

気を取り直し、
女の子は、手元に残った小さなとうもろこしの皮をこじ開けてみました。

すると、ほんの数粒しか実がついていません。その数粒だけはキラキラツヤツヤして、
プツッと弾けそうなほど元気に張り切っていて大きいのですが、あとはでき損ないか、実もついていないのでした。
後ろからのぞいた弟が
『あれ、全然実がついてないじゃない。』
と言いました。

女の子が肩を落としていると、
おばあさんが言いました。
『蒸そうね。ちょっとしかついてないのは、甘いよ。』

女の子は頷いて、おばあさんにとうもろこしを渡しました。

しばらくして、おばあさんは蒸し上がったとうもろこしを持ってきてくれました。

女の子は受け取って、
一粒かじってみました。

とうもろこしの実はブツンと弾けて、
甘くて甘くて、何粒分の味が
一粒にぎゅうぎゅう入ってるみたいでした。

女の子は『甘い!美味しい!』と叫びました。
弟が『ちょうだい!』とやって来て
一粒かじると、
『本当に甘い!』とふざけて踊りました。

女の子は、そのあと、畑で採れた
キレイなとうもろこしも沢山食べましたが、

あのほんの数粒の、
私のとうもろこしの方が
断然甘くて美味しかった。
とこっそり思いました。

おわり
******************

今思えば、もしかして、
これって自然農法との出会いじゃない?

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臆病~或いは、自信がないってつまらないということ

友人に返却するものを届けての帰り道、
まっすぐ家に帰らずに、
ゆっくり自分の時間を過ごせる場所に
行きたいと、頭を巡らせた。

その場所からそんなに離れず、
静かで、一人のスペースがゆったりととれて、コーヒーが美味しくて、内装が綺麗なところ。

だいたい頭の中は決まっていた。

数日前にはじめていったお店に行くのはどうだろう。
場所も遠くない。

美しいステンドグラスが明かりとりの小さな窓に嵌め込まれ、店内はほの明るく、静謐な空気感。
バイオリンやピアノのクラシックが流れている。コーヒーも美味しい。お店の人は上品で優しく接してくれる。

言うことないな。

ハンドルを切って、車を目的地にむける。

その時点で迷いはない。はず。

だいぶ近づいた頃、
変な心配が鎌首をもたげる。

この前行ったばかりで、変じゃないかな。

あのお店のテーブルの向きは、どうも落ち着かない。誰かと行くならいいけど、一人ならもう少し、個席感があるほうがいいな。

ぐるぐる。

いや、違う店行こう。

前から行ってみたかった。
ちょっとスタイリッシュで、
スペシャルティにこだわってるけど、割りとリーズナブルな店。

あそこなら、なんとなく、
独りに没頭できそう。

ハンドルを切って方向転換。

だいぶ近づいた頃、なんとなく、
変な心配が鎌首をもたげる。

なんか、不安。
場所がいまいちわからない。
ナビにでない。

それに、なんかはじめての店だから
ドキドキしてきた。

と、その時に右手にチェーンのカフェが。

あ、ここにしよ。

今までなんだったのー、てくらい勢いよくハンドルを切って、駐車場に入ってしまい
今に至る。

コーヒーはさほど美味しくないし、
席も個席感がない。
内装はなんとなく雑然として気がない。
Wi-Fiがつながっているのは便利だが、
読書に集中出来ない(←店のせいじゃない。)

はあ。
不満だ。

まてよ。

不満なのは、この店じゃなくて、
迷って迷って、ひよった自分に対してなんだよなー。

最初の店は上等な店で、
なんだかよくわからないけど、
『いやいや私なんぞが3日も空けずに通わせていただくなんて、なんかもうすみません。改めさせていただきます。』みたいな、なんか卑屈なメンタル。

二番目は、なんかさ、コジャレてさ、
行ったことないしさ、
ちょっと怖いなー、
また今度にしよっと、
みたいな、
なんていうかもう、

ちいせえ。

オレ、ちいせえ‼

なんでこうも余計なことばかり考えちゃうのかなー。

ていうか、わざわざ言い訳を浮かび上がらせて、逃げようとしてるの。
その店に合わない自分を作り上げて!

やだわー。

この自信のなさがいやだわー。

私の理想のパターンを考えてみる
     ↓
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行ってみたい!→きたー\(^o^)/

やってみたい! →やったー\(^o^)/


憧れの
直情直行直帰マシーン型ポジティブシンキング。
こうなれたら、もっともっと私の世界は広がるんだろうなあ。

はあ、気がつくと、まあまあ没頭して
内省を満喫した。ここの店でもちゃんと
自分なりに愉しいよ。

そんなに怖がらなくても良いのにね(^_^)
どこでも、そこにいることを楽しめばいいのだよ。

なんて辺りにまとめだして着地して、
大団円である。

あ、帰らなきゃ。

こんなささやかなぐるぐるも、
次に迷ったときに、
思い出して役立てられるといいな、と思い
残しておく。