今日の光 明日の風

毎日出会うモノコトヒト、から何かを感じる自分を観る。言葉遊び

どこか傷がある人が好き。

傷がない人なんていないかもしれない。

傷の形が、
それぞれに見合う人を引き付けあっているんだろうけど。

欠けて失われてしまった部分があって
少し虚ろだったり、まだ生傷だったりするかもしれないし、
別のものがそこに居座っちゃったりしてるかもしれない。

そこに関われたら、触れられたらと、
欲望と読んでも差し支えない希求を覚えることがある。
そこに関わることで、
自分の存在や価値、働きを、
つい見たくなってしまうんだろうね。
ちょっといやらしいな。

でも大抵の場合、何も出来ないんだ。

何も出来ないまま。
ただ観ている。

その傷はその人だけの持ち物だ。
変えて癒すことも、共に生きていくことが出来るのも、当人だけだ。

それでも傷がある人が好きだ。

時々、どこか遠くにいってしまう。

その人がどこか遠くに意識を馳せてしまってる姿を眺める。
その時が割合に好きだ。

遠くをみて、心がここにいない彼女、彼を
美しいと思うこともある。
からっぽで、景色の一部になってしまうその人のその時。
横顔や背中を眺めながら、これからずっと幸せであって、と切に心底願ってしまうのだ。


だけどね、傷がない人も好きだ。
それは小さな子どもだ。
傷が少なかったり、傷を問題にしないのは
子どものような人だ。
或いは、子どものような部分(パート)?

朗らかで、強い。

まばゆくさえ感じる。

まばゆさに癒されながら、
励まされながら、

人の(自分の)傷も観ている。