今日の光 明日の風

毎日出会うモノコトヒト、から何かを感じる自分を観る。言葉遊び

幕が降りる気配

なんていうのかな、、
近頃は、「私の熊本での役割は終わったな」と
感じます。

大層傲岸不遜な言いようだと思われても仕方ないですが、
人は好む好まざるに関わらず、
運命の、世界の流れの中でその人だけの
何かしらの役割、機能を持っていると
私はあるときから思うようになりました。

人と人との関わり、そこに快、不快様々ありますが、それ自体は流れの中での出来事。

どこか遠いところから俯瞰する目線をうしなうことはありません。
感情が荒立ちきっているときさえ、
私の中には、或いは上には、私を、周囲を眺める目があるのです。

私は特定の宗教はもちませんが、
その目線こそが私の中の神的な世界であり、
運命の移ろいの中で自分に訪れる役割を知らず知らずにこなしていく、生き物の存在そのものがいとしいと感じてしまう。
ニュートラルな、認識体。
幸、不幸、苦楽、生死、出会い別れ、すべて無常。
そんな感情や事象など、
単なる波でしかない。
その波に翻弄されながら、自らのドラマを行い、更に運命の流れの一滴として働く。

無常。。

方丈記序文脳内再生中)

今、帰郷を前にして振り返れば、
私の果たしたささやかな役割を見ることができる。
他の人にはわからなくとも、私にはわかる
マップがある。

ま、役割があるといいながら、
逆説的に
役割などなくてよい、
何もなくてよい、
とも、思ってますが。

寂しいと思う人間な私は心乱れながら、
ハイヤーフロアな私から見れば、
終わることは、やはりただの波。

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