気持ちがよい5月だ。
風が渡っていく。
一年で一番いい季節だと思う。
さて、先日一つ試みたことがある。
一つは、人にお願いして、私のポテンシャルともいえる特徴、特質を挙げ連ねてもらうこと。
2つめは、そのポテンシャルをどう使ったらいいか意見をもらうこと。
以前、こういうやり方があると聞いたときは、やりたいと思わなかった。
私のポテンシャルなどに興味があり、わざわざ書いてくれる人がいるなんてとても思えなかったし、
自分だって自分のことをジャッジしまくってるのに、この上他人からの評価に晒されるなんて
無用。自分が自分を認められたらそれで良いと
聞き流していた。
しかし、また同じことを聞く機会があり、
改めて今回はやってみよう、と思ったのは
・どう評価されようと、
私の価値は上がったり下がったりしない。
私の存在価値と能力は、別の位相の問題と
理解している。
・しかし、長いこと上記を混同して来たため、
自己認識が低かったせいで、自分のリソースに
対しても無視を続けてきた。
低評価で受け入れられなかったと、自己分析。
・今後は、出来ないことを高めることに
こだわることをやめて
普段から出来ること、自然にやってることを
活用し、伸ばすことにしたい。
(それこそがリソースだと理解した)
・あまりにも出来ないことばかり見てきたので
もう好きなこともできることもピンとこない。
→では、人が見た私がやってることの中で得意そうなことや、自然なこと、好きそうなことを聞いてみるチャレンジをする(怖いけど)
・それを見て、自分の感覚とすりあわせたら
わかるかも!(やる気)
と思ったという流れ。
そもそもは、
もっと自由にいきたい。
本当の自分の生き方をしたい。
という漠然とした願いがあって、
もちろん
使命なんて大げさなものがなくたって
十分に幸せになれるし、
そんなことを考えるのは誇大妄想だと
諌める自分もいるけど、
でも、
やっぱり私の心の中に
『役に立ちたい。』という、
傲慢だ、必要ない、今でも十分などと、
どう否定しても、諌めても
消せない思いがあるのを抑えきれない。
私は何か(わからない)になりたいし、
誰か(わからない)に役立ちたい。
それも、私が望む形で(ここ大事)!
続く