今日の光 明日の風

毎日出会うモノコトヒト、から何かを感じる自分を観る。言葉遊び

チャレンジその後2

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前記事の写真は、
長い付き合いな友人からもらったフィードバックの一部。

思いがけなく沢山の人が
協力してくれた。

やるよ、と言ってくれる。
私で良ければ、と手を上げてくれる。

フィードバックを読むと、
その中には、相手から見た私の姿が
浮かび上がる。

それはとても多彩だったし、
同時に自分の大切にしたい価値観が見事に反映されており、
こんなに人は他者をちゃんと、
好意的な視座で眺めてくれるものなのか、
メリットもないのに皆親切だなあ。。
と感動したし、

或いは、
きちんと頼めば
そのカテゴリーで考えてくれるんだ、と
頼もしい感じもした。

まあ、こんなことは多分人生で一度だし、
むしろ一度にしたい。
そう何度もするものじゃないな、と思う。

少なくとも、ステージで一回だ。

多分、必ずステージアップしますから、
だから迷惑かけさせてください、という気持ちを
受け入れてくれる人、
悩める人をほっておけない人が
力を貸してくれたんだな、

何度も涙を流しながら読む。

私自身が知らない、 
或いは自分に認めることを許さなかった像と
再会するかのように、
一つ一つ受け入れた。

中には少しチクッとしたり
ざわざわするものもあった。

基本は何かしたくて
関わってくれてるのだし

受け取れるもの、
受け取りたい形を
選ぶのも私次第だと思って、

心と頭をしっかり活用した。

皆暇じゃないのだ。
そんな中
自分について書いてくれたのは
心を寄せてもいいと
思ってくれたからだ。

無駄にしない。
全て
得られるものを見つける。
そんな気持ちだった。

それはある意味覚悟だな、と思った。
変わらないことで得ていた目的を捨てる。

だからだろうか、
友人知人たちの語る私の像は、
私の中に、すんなりとそれぞれ居場所をみつけていくようだった。

友人の顔を思い浮かべて
そうこう読み進めるうち

私の心が、
まるで生き物みたいにむにょむにょと動き
形を変えていくのがわかった。


ああ、とうとう変わるときが来たんだね。
今までサボタージュしながら、自分を守ってきた
『無力感』『罪悪感』『無価値感』よ。
ありがとう。
さようなら。

私は何かになるよ。
なりたいものになるよ。
それを思い出すよ。

じわじわと形になりつつある。
人の為と自分の為とが一致交差する思い。

それはやっぱり
人の回復、受容、変化に関わりたいという気持ち。