今日の光 明日の風

毎日出会うモノコトヒト、から何かを感じる自分を観る。言葉遊び

私の一年

今年も残すところ二週間。

ふと、思いたち、
毎年恒例(自分の中で)一年の振り返りをしてみようかな、と思う。

まず、今年思い出すのは

兎角。

兎角、しんどかった!という思い。

何がといえば、

自分の人間関係のトラウマとでも言いますか、
ビリーフが浮かび上がっては暴れだすので、

心がそりゃあもう乱れて、
心身ともに痛み、疲れ切った。

自分の中の
コミュニケーション、愛、お金にまつわる
切実な希求。

自己存在価値、他者・自己信頼への根深い疑心。

そんなものに振り回されて、何度も追い詰められた。

時にスーパーの屋上の駐車場に車を止め、月を眺めながら涙を流し、

ときには起き上がれない吐くほどの
心身の痛みに
床に伏し、


家の中の役割としては、
時として
本当に使いものにならない、
困ったお母さんだっただろう、と思う。

しかし総括して
この一年でわかったことは、


どんな役割があっても、
それらをどんなに繕って頑張って仕上げようとしても、
大本の私の心が諾と言わなければ
その役割の任務は成就しない。
良くも悪くも、
私の心が何を求めるかを、
その始末をどうするかを含めて
無視してしまったら
必ず足止めをくらうのだと実感した。

足止めを食らうたびに気づく。

私を観ろ。

この私の、
傷をみろ。

思い込んで手放さない
自己否定と不幸のシナリオを観ろ。

私のささやかな願いを叶えなかった
あの人たちに、
執念深く
ほらあなたたちのおかげで

私はこんなにも不幸ですよ。

とでもいうかのように、
不自由な現実に身をおいていると錯覚し、
つらそうな顔をして復讐する。

そのパターンを観ろ!

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私にとってのメメントモリ

それが今年。

木星蠍座に滞在して、

私の傷ついた金星蠍が
呼応していたのではないかと
思いたいほど、

孤独と欠乏感と虚無が自分の中に
濃い影を現し、
無いものねだりと諦めが身を苛んだ。

この世では
私が恐れずに愛することも、
そしてそれを受け止めることができる人も、
場所もない、というビリーフに
基づく絶望。

そんなものに墜ちたとき、
身近な愛する人たちも私を
やすやすとは助けなかった。

むしろ追い込む方向で(笑)

(それでも何人か、本当に救いのように共にある態度を示してくれた友人がいて、揃って太陽星座が水の蠍、魚の友人だった。水底の情は深い)

そして、今になって振り返り
手に入れたものは

本当に本当にまだ微かな兆しだけれども、
見え隠れするような危うさだけれども、

掌に小さな光。

「どの私も、私にとっては本物。
統合が必要なものも、
そのバックグラウンドを含めて受け入れる。
代わりはいない。

いつもそばにいる。
絶対に、離れない。
見捨てない。
死ぬまで、手をつなぎ、声をかけ
愛し、
歩いていく。
私自身がそうであればいいのだ。」

まだ、どうなるかわからない。

また揺り戻すように
他者に求めてしまうかもしれない。

それでも、この一年で見つめてきた
孤独で疑い深い、手負いの狼少女みたいな
小さな自分を見捨てることはもうないと
決めている。

きっと、その子に
温かい衣服、
美味しいものをあげて、

優しく抱きしめ、

眠りにつくまで
そばにいようと思う。

何度でも、
愛している。と言い続けようと思う。