今日の光 明日の風

毎日出会うモノコトヒト、から何かを感じる自分を観る。観測記。

乙女座新月〜黄色い戦士の日

今日(2026/9/11)は乙女座の新月

手放し、調整、整え

 

黄色い戦士の日。マヤ暦で言う私の紋章の日だ。(音は違う)

 

黄色い戦士

主な特徴と性格

・チャレンジ精神: 困難なことや高い壁ほど闘志が湧き、楽しみながら乗り越えようとする

・知性と探求心: 「なぜ」「どうすれば」と深く考え抜く知的な一面があり、物事の本質を見極める。

・打たれ強さ: 滅多にへこたれない強いメンタルを持ち、最後まで投げ出さずにやり抜く。

・誠実さと実直さ: 自分に嘘をつかず、真っ直ぐな信念を持って行動する。

 

今日がその紋章の日ということは、黄色い戦士的なエネルギーが強くなる日という理解。そして、私自身がその紋章の生まれなので、特徴が強く表れるし、そんな出来事が起こるということだろうか。

 

君は良いこすぎて面白くない、と言われたことがある。真面目な不良になれと。

でも、結局、そういうのは人格だから捨てられない。それに気がつかず自分の枠を出てもっと魅力的な人間になりたいと思って20年近く模索した結果、

そんなことは不要という結論に至った。

 

魅力的かどうかは私が意図することではない。と気付き手放すことにした

相対する人が求める部分が当てはまれば、そこだけが相手が欲しい場所。

 

それが私自身が意図していなくても。

私が求めてなくても。

合致するときだけ関わりが生まれる。

 

そういうことは仕方ないし、なんなら一部でも求められるなら嬉しいと思っていたけど、なんだか虚しい。

 

他人のせいで傷つくのではない、

相手を慮るつもりで安請け合いして自分を切り売りして受け身になるから、相手に対して要求が生まれるのだ。

 

違うと感じたら断る。

自分の思うように生きてていい。

自分のことを信じていい。

ちゃんと自分と一致していれば、

他人に求めることはない。

 

自分を生きている私自身と一緒にいたい、まるごとの私といるのが楽しいと思ってくれる人と関われる人でありたい。もっともっと自分を取り出して磨いていこう。万人受けするためにバリ取りして輪郭が曖昧になる必要なんかない。

 

誰かに好かれようとして笑うな。

楽しい嬉しい時に笑え。

 

誰もいなければ一人でいい。

孤独なんて当たり前。

この宇宙には私一人しかいない、という説もある。

 

こんなことを二駅分歩きながら考えた。

 

新月とか紋章とかやっぱりそういうエネルギーはある。私たちは宇宙の一部。影響というよりも、そのダイナミズムの中に生きているのだから、その流れそのものなんだろうと思う。

20260911記

 

 

確認

うっかりすると、すぐに背伸びしようとする。

 

また前より高いところを目指そうとする。

 

もっと鍛えなくちゃと思う。

 

やっと気づいたはずなのに。

自分自身のままでいい。

楽してもいい。

好きな事をしていい。

ほどほどでいい。

 

これを守るのが、案外難しい。

 

私って欲が深い。

人生を考える

割と過去をみるのが得意だ。

分析、考察に材料が必要だから。

それは多くの場合、ネガティブだとか、意識過剰だとか、考えすぎだとか、言われてしまう。

 

だけど、私は自分のそんな資質を今では特性だと思うことにしたし、それこそが私の今世で生きる理由だというところまで辿り着いてきた。

 

私は私でもってこの世を存分体験に来たのだ。だから、一つ一つ味わい考える。辛くてもその辛さを眺め、それでも次はもっと良くあろうと願う。後悔したり、自責をしても希望を抱くところまでたどり着く。怒りよりも理解したいと思う。いつまでも成熟する意識もなく、諦めもせず、老いの意識を拒まずも縛られないでいようと思う。

 

私のことを自分研究家と言ってくれた人がいる。言い得て妙。私自身もそう思っていたので、関わってきたあれこれを通してなおかつ、そう言ってくれる程に受容し続けてくれたことに感動した。

仕事、というかおそらくライフワーク的な立ち位置で話をしてくれたからだろうけど、関わる上で見てきたことをラベリングするときに、客観的かつ肯定的な意図を持って行ってもらえるという体験は、一般的には幸運なもののはずだ。

 

私は恵まれているのだろう。

なぜって人生の節目に置いて、次のフェーズに向かう狭間に、そういう人と会えたのだから。

これまでを肯定して、勇気づけてくれる人との関わりをもらえたのだから。

 

先日、整体と占星術両方見てくれる先生にあなたは異世界から来てこの世界を体験しまた別の次元に行く人だと言われた。そういうホロスコープなんだそうだ。

アセンダントのサビアンは  「木の高いところにいる老いたフクロウ」An old owl up in a tree.

(これを書いてる今まさにイヤホンからサカナクションの「フクロウ」が流れてきた。そんなことある?ランダムで別のアルバム聴いてたのに。そういうシンクロ多すぎて、めちゃ出来過ぎてるなと感じざるを得ない)

目指す方向は、

・360度を見渡すような広い視野で物事を眺めて洞察していくこと。

 

・物事が正常運転かどうか?厳しく監視していくこと。

 

・幅広い視野で得た情報で、真実を追求していく目を養うこと。

 

・物事の裏事情や、人々が抱える心の闇、事件の真実や陰謀や策略などを見抜いて真実に到達すること。

 

・人の心に働きかけるような言葉を選んで相手を動かしてみる。

 

・人間の心理的な構造を学ぶこと。

 

・自分にメリットをもたらす情報を常に収集していくこと。

だそうな。

 

このエネルギーを、いくばくかは使っていると思う。

私はこのようにしてこの世界を体験している。

それこそが私が生きている意味であり目的となんだと、やっと思えるようになった。

 

やっとそこに至った瞬間に、そのことを言語化できる人に会わせてくれるとは、宇宙とは全くもって即応性に富んでいる。

膨大なこれまでの全てを自己受容しようと思った上で、私はどこに向かうのか、今はやっぱり全く分からない。

 

だけど、一つだけ思うのは、

出来ればその体験の中でも、小さな幸せを実現し続けることに真摯であろうと思う。

自己表現の変化

昨年の年末から

自己表現の変革が始まった。

 

アクセサリーを作ることに目覚めて、自分の好きなものを身につけるようになった。(そしたら夫が二十年ぶりにアクセサリーを贈ってくれた。よくわからない。)

 

自分が美しいと思うものを作り、指にはめたらマニキュアを塗りたくなり、マニキュアを塗ると手がもっと綺麗だといいな。と思ってハンドクリームを買って塗り始めた。

 

ネックレスをつけると、それに合う綺麗な服が着たくなり、選ぶものが変わった。

 

講座の課題でピアスを作る必要があれば、いよいよ日会う穴を開けたくなってる。この歳でも、そんなことしてもいいのかな…と思ったりもしたが、

 

なんだろ、誰かの評価や馬鹿にされたりすることなんて関係ない。

私が、可愛い、綺麗と思えばそれでいい。

 

私の人生だぞ。

 

そう思うようになった。

 

すごいよねえ。

 

このアクセサリーづくりを始める時から、そんな予感がしてた。

 

これだけは自分のためにやるのだと。

 

そして、初めてワークショップに行ったのは、確か獅子座の新月だったか。

 

これが獅子座のエネルギーということかもしれない、と思ったなあ。その時は。

 

今もそう思う。

 

木星が獅子座に入り、

太陽も獅子座にもうすぐ入る。

 

同じことを感じてる。

 

自分自身でこの世界に居る。

 

やっとだ。初めての感覚だ。

 

 

女性は多かれ少なかれ幼児期から、性暴力的な体験をしている人が少なくない。完璧に守られる人など、おそらく皆無だろう。

 

私も何度かそういう体験にさらされており、幼児期の満たされない孤独感と変に接続してしまい、自分の女性性を恥ずべきもの、隠すべきもの、私には相応しくないものと深く捉えてしまっていた。

 

だから、女性としての自分に恐れを持っていて、飾ることが得意ではなかった。

それらは寧ろアンダーグラウンドで発揮するものになってしまっていた。

 

でも、やっとそちら側の私も陽の光が当たるところに上がってきたんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

7/14蟹座新月に寄せて

7/14

蟹座の新月だった。私自身のバーテックス、パートオブフォーチュンと重なっている。

 

だからどうなのかというのは分からないし、ないかもしれないが、

今ここの気持ちを今夜も綴っておこうと思う。

 

蟹座の人が

「こんなふうに扱われて、昨夜急に、自分のことをかわいそうだと思った」と、今日私に打ち明けた。瞳には涙が滲んでいた。

普段、明るかったり厳しかったり、心の強い人だが、私はいつも思っていたの。

この人は自分に厳しすぎると。

 

人のために動く、耐える、頑張る。倒れて動けなくなるまで。

当然見返りを求める!と声に出していう。でも実際は、、同情してしまえば、理不尽なことにも、嫌いだと思う人にも心を寄せ、手をかけてしまう。その時説得するのは自分の中の自分。

そういう厳しさ。

私はその人の涙をみながら、あなたはあなた自身に出会ったのだね。。と思った。

ほんの、瞬間他でもなく自分に心を寄せた。その感情を掬い上げて、手を取り合って前を向く。

 

蟹座の新月はそういう月、らしい。

 

私自身にも変化は起こっている。

私でないものになろうとするのはやめる、と思いいたったが、自分以上のものになろうと努力して得たものはなかなか捨てがたいものになってしまった。

だがしかし、

評価を得ようとすることは、自己存在を相手に明渡し、首根っこを押さえられていることなんだと気がついた。

 

私は以前、大事な人のためにもっと「優秀に、役立てる」自分になりたいと思った。

大事な人たちのために、もっと稼がなくてはならないと思った。

そしてまた連れ合いと別れたほうがお互い楽になるだろうと、一人で生きられるよう経済力をつけなければと思った。

 

勉強、資格取得、転職、繰り返して得たものはわずかだが自分にとってはこれまでで一番の稼ぎと、正しさと独り善がりを押しつけられてしらけた家族の顔。大事な人たちに寄り添う余裕もなくなって。疲れ切った今の私。

 

まさにそんな私に、

またも新しい仕事が振られ、

無理だ、と思って考えさせてほしいといったら「辞める覚悟があっていってるのか」と。

 

私は答えた。

そのつもりです、と。

 

構わない。

 

これまで積み重ねたもの、

努力してなんとか仕上げ続けたもの、

皆に役立てればと頑張ったこと、

 

それら全てが

経営者の言葉に即応しなかったこと一つでなかったことにされるなら、

 

いらない。

 

私ももう、こんな場所いらない。

 

なかなか次も決まらないが、

これからは自分を取り戻す旅に出る。

 

自分以上のものになる冒険は険しく苦しく、面白かった。

 

堪能したよ。

 

新月は写真に残せないから、同じ日に見た虹をアンカーとして残す。

 

あるかなきかの写りだけど、確かにあったのです。

 

 

 

身の丈

自分じゃないものになるのは諦めよう。

 

私には合わない。

 

そういうものから少しずつ離脱して、

 

身の丈に合う生き方を。

 

でもほどほどに楽しめることは失いたくないから、自由になるくらいの収入は得ながらして、無理ない生き方。

 

 

完璧主義と別れる

この満月のに向かってきた、私のテーマをメモしておく。

 

完璧主義との別れ。

 

これだな。

 

半月前くらいから、このことがいつも頭に浮かんだ。

 

完璧「主義」であって、完璧なわけでは毛頭ないわけで。

 

完璧になれっこない自分が

 

100点なんなら120点の自分を夢想し、そうなれないなれないと駄々をこねていた。

 

つまりそれが、事実だ。

 

だから実情を受け入れることだ。

 

出来ないこともある、ミスすることもある、腹を立てることも、落ち込んで引きこもり八つ当たりすることもある。

たいしたことない人間だ。

 

大したことなくて悪くない。

 

大したことない人間だって、愛すべきところがあってもいいじゃないか。

 

そのままいても.いいじゃないか。

正直な自分を出すのはハードルが高い。けど、出たところ勝負の自分をそれでいいそれでいいと言っていれば、いつか安心して70を100だと言える日がくるんだ、と思う。