今日の光 明日の風

毎日出会うモノコトヒト、から何かを感じる自分を観る。言葉遊び

正の注目

できなかったことでなく

できていることに注目すること。

当たり前にできていることでもいい。

 

試しに書いてみよう…。

無添加の食材を日々探して歩き、日々家族の健康を意識してご飯を作り続けてきたこと。

子どもが危ない目に合わないよう、無理なく行動できるよう、車の送迎、付き添いなど進んでやってきたこと。

家事とパートと育児をほとんどワンオペで頑張ってきたこと。

その間にもすこしずつやれることを更新して、勉強したりもして、10年前育児オンリーからパート復帰したときから徐々に時給を1000円以上アップしてきた。

朝5時台に起きて、家族の弁当、朝食を用意して、自分の身支度をし、ちゃんと仕事にいっている。なるべく早めに行き、コーヒーと持参のおにぎりをつまむくらい余裕のある行動ができている。

職場では誰にでも明るく礼儀正しく接する、と決めたことを、だいたいできてる。

 

悲しいことがあって落ち込んだり、怒ったりしても結果として自分の身の振り方を省みて、今後に還元しようと努めている。

やっぱりそれぞれが幸せであることが大事だと思い、接し方など考えている。

 

………私こんなにやってるではないか。

誰がどう思おうと、

誠実であろうとがんばってるではないか。

 

こういうことを無かったこと、出来ていて当たり前だから見ないこと、にしないで、できていることに注目するのが「正の注目」らしいが、もう少し理解を深めながら自信なり勇気なりを育てていく習慣をつけよう。

 

 

 

 

大丈夫

私には仕事がある。

毎日頑張って働いていれば

日はすぐに過ぎるし、

生きていける。

 

職場の場所は好きだ。

あの整った場所、

人が精一杯システマチックに働いているからこそ、息抜きの場所が整えられて

沢山ある。

頑張ってる人が沢山いる、

あの場所が好きだ。

呼吸が楽になる。

遠いけど気にならない。

 

大丈夫。

職場では理不尽に搾取されることはない。

対価はある。

居場所もある。

失敗すれば注意されるし

成功すればよかったねといわれる。

それを受け入れて血肉にすれば

自分の力がつくだけだ。

 

だから、大丈夫。

忙しくして、立ち止まらないでいれば

苦にならない。

明日からも頑張ろう。

 

 

感謝が湧くとき

時々、急に多幸感があふれることがある。

 

感謝が湧いて、すごく幸せでいっぱいになることが。

 

それは唐突に訪れて、前後の脈略もない。

 

落ち込むようなことがあるときも、

なにか別のことをしていたり、

のんびりコーヒーをのもうかと休憩してるときとか、

なんの関連性もなく

突発的にやってくる。

 

これは何なんだろう。

わからないけれど。

 

深く関わってくれた人。

 

過去の自分。

未来の自分。

 

などから、もしかして送ってもらったものが届いたということなんじゃないだろうかとふと思いつき、

 

ありがとう…て心のなかで呟くのだ。

 

 

 

 

もしも

 

もしも、あの頃に戻れたら

あの子を思い切り抱きしめる。

ごめんねごめんね

心から愛してるっていう  

 

もしもあのときに戻れたら

孤独な私を思い切り抱きしめる。

ありがとうありがとう

あなたが頑張ってくれたから

今の私がいるんだよ。

 

戻れないけど

今もどこか時間の壁の向こうにいるあなたへ、愛を送ります。

 

あなたが無事守られますように

あなたが寂しくないように

あなたが頑張れるように

 

生きててくれてありがとう。

愛してる。

 

平平の凡

平凡が一番いいんだってさ。

 

へえ。

 

平凡でいいんだ。

平凡がいいんだ。

 

その日の幸せを味わいながら

ゆったりと生きるを重ねる、がいいんだ。

 

それが整体の生き方なんだって。

 

へえ、いいね。

出来るかなぁ。

 

平凡がいい、ということと

 

幸せを味わう、ということは

 

意識していきたいと思う。

新しい世界はどこにあるのだろう

なんだろなー

最近は自分の中の正義(良かれと頑張ってきたことや、相手への信頼)がへし折られるようなことが続いていて、

一体これはなんなのか、て思ってる。

なんだろう、
知覚している場が私とそぐわなくなってきてるかのようだ。

狭い小さい世界だけど、

極々身近で
信頼していた人との関係性と、その人への自分の気持ちがぺしゃんこに踏みにじられて、無意味なものになっていくのを何度も何度も見て、

脳がぐんにゃりとへしゃげるような違和感を受けながら視界がぐらりと揺れるのを体験して

それでいて無感動な自分をも感じていると

どうなってしまうのかな

何にもなくても誰もいなくてもなんとかなるのかしら?

日をとにかくまたいでいけばある日違う世界になっていたりするのかな?て

ファンタジーなことをふと思ってみたくなる。

 

 

頑張ったけど、だめだった。

て、内心呟いてみる。

 

少し楽になる。

 

本当に頑張ったかはわからない。

 

でも、我慢はしてた。

し続けてた。

 

でも、もう我慢のストックが尽きました。

 

継ぎ注ぎ続けた愛情も絶えた。

 

涙も出ない。

いや、出したくない。

 

泣くくらいなら、これからのことを考えたい。

 

つい損得を考えてしまうけど、

損得ではなく、

せめて徳を積んで残りの人生を生きたい。

 

でも、出来るかなぁ。不安だ。

生きていけるかなあ。

 

生きられなければ死ぬだけだ、と思うほど覚悟ができてない。