今日の光 明日の風

毎日出会うモノコトヒト、から何かを感じる自分を観る。言葉遊び

型について

人生の半分、日本の武道、伝統芸能をかじってきた。ものにはならなかったが。

「プロと素人で何が違うのか」について思い出したこと。

ここ数日で、素人でちょっと上手い人と、鍛え抜かれたプロが同じところで同じものをするのを見て、
やはり、全く別の質を感じた。
プロには行っているとき
迷いがない。もう型を身に着けている。
身体と型が一体化して、
本人が何を考えているかどう見せたいかなどは
身を潜めている。

伝統芸能まわりの鍛え方は
型を磨き抜くこと。
そのために鍛えるし、
そのために我をなくしていく(あるいは内に秘めていく)。

削ぎ落とし、
磨き抜き、
最も簡素にシャープに、無味の美。

で、なければならない。

けれん味や我流はうるさく
「クサイ」と嫌われる。

整った美しさ。無私の。

翻り、思いだしたことのメモ。

整体でついこの前言われたのは
型に甘えてはいけないということ。

伝統芸能や武道をやってきた人は
型を学ぶことが身についていて、
それは基本的に良いことだけど

型に頼り、形にこだわり、鈍感になることがある。見えないものを舐めるところがある。

だから、却って学びつづけるのが難しいと。

うーん。

型は大事だが、
型通りには心がない。

心を育てる。とか?型の後ろに隠れていると確かに難しいなあ。

型は自分を助けてくれる。
常にクオリティを保ち自分を失くして
用をつつがなくし、美を際立たせる。

しかし、それを求め続けるのと
整体はどうやら途中から道を分かつのだ。

整体は命を発揮させること、
十全に生きるための哲学であり方法論だから、
型を求めて己を失くすものとは
本来的に違うものだということを
覚えておかなくては、と思った。