春分を超えて、身体の春入りもだいぶ進んでいる頃だからだろうか。
毎年この頃、夢を見てしまう。
後味悪い悪夢。
FBの機能とは便利で、
これまでにメモした記事が上がってくる。
毎年決まってこの一週間(というか2月頭の数日内に)。
子どもの生死に関わる夢を見る。
そして、大抵助けられず、途中で夢から引き上げられるように、息を切らして汗だくで目覚める。
心臓が痛いほど乱れて、
なぜ目覚めてしまったのか、
なぜ助けられなかったのか強く後悔して、
襲ってきた相手への激しい怒りと殺意に
手が震える。
汗を拭き息を整えながら、
少しずつこの世界に馴染むのを待つ。
本当に夢なら、ただ恐ろしくて、私自身の無力感と喪失感の象徴としての夢ならいい。
そこからしばらくの間、
あれが夢じゃなくて、
変な話パラレルワールド的なものだとしたら…と空想してしまう。
目覚めるべきじゃなかった、
なぜ助けられなかったのか、、
毎年同じように後悔する。
置いてくるべきじゃなかった、
あの夢に置き去りにしたんだ私は。と。
それがただの夢、
その後の後悔や怒りがただの妄想。
そんなことは理解できてる。
わかっていても、苦しい。
神様、天使様、誰かそういう存在がもしいるなら
あちらの私とあちらの私の子どもを、
どうか助けてください。
どうか、あの人たちを守ってください。
もう毎年の祈りだ。
祈るしかないけれど、
次元が違うところ、時間軸が違うところに万が一届くとするとしたら、と思うと
ただ祈りを送るしかできない。