今日の光 明日の風

毎日出会うモノコトヒト、から何かを感じる自分を観る。言葉遊び

迎えに行かなきゃいけないと思った話

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あの草むらのどこかに
まだ自分の一部が隠れてるなら
はやくさがしだして、
迎えに来たよ、と言ってあげなくては。

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適応力は低くないとのことなのに
なぜ職場を転々としてしまうのだろう。

なぜ大事な人ほど、
関係性、信頼を失うような行動をとってしまうのだろう。

親しくなりたいのに、
誰にも近寄ってほしくないのはなぜだろう。

そんな風に改めて気になり、
考えたのはつい最近のことだ。


「じゃあなぜ会社をすぐやめちゃうの?」

そこから掘ると会社だけではないとすぐ思った。

離れたくなる。
自分が近くにいたら駄目だと思う。

迷惑をかけてしまう。
そんな資格がない。


さらに感じると

それでも愛されたい。
必要とされたい。
拒絶を踏み越えて
私のことを大事だと言ってもらえたら
嬉しいのに、

と思っている。

思い出した。

小さな頃の自分が
草原で薄の中に隠れている。
風呂敷を持っている。

中には小さな私が
生きるのに必要だと思っているもの。
お菓子とタオルと
クレヨンとお絵描き帳だけ(笑)

誰かが迎えにきてくれるのを。
待ってる。

まだ4歳とか5歳とかで、
家出ばかりしていた。

行き先は近所の草原。
2階のベランダから家族は
草はらの私を見つけて
また隠れているねと、笑っていたらしい。

誰も来てくれなくて、結局一人で帰る。

お帰り、家出終わり?と笑われる。

私はこれまでそれを笑い話の
ネタにしていた。

けれど、今回は思い出すと怒りがこみ上げた。

そうじゃない!!

そんな思いをさせちゃいけない。

そもそも、そんなふうにしてまで、
小さな子どもが、
何度も何度も自分の存在を賭けて
(本人はそのつもり)
大人をためさなくてはならないなんて、

そんな悲しいことをしなきゃいけないなんてことがあっていいのか?!

その時点で私はもう家族のことも、
自分のことも信じていないのだ。
(逆説的に言えば今度こそは迎えにきてくれるかもと毎回信じて期待していたのかも)

さらにまた感じてみると

多分、成功したことがあったのだろうなと
思った。
迷子かなにか
意図せずに、迎えに来てもらって
嬉しかったことでもあったのだろうか、と。

きっと何度も繰り返したのは
それを再現したかったのだろう。

そうして
注目されたことが嬉しく、
もう一度欲しかったのかも。

でもいつか試すことに諦めて
私はいらない子なのだと
思い込んでしまったのかも。

それをいまだにやっていたのかもしれないな
と思った。

そして、同時に
相手と親しくなってから
その場に馴染んでから

傷つくより

早く離れたほうがいい、と
思っているのもわかった。

自分勝手な期待に疲れて
早く離れたい一人になりたい、
こんな自分では駄目にしてしまう、
と思って
怖くなる。

それも、いなくなると
悲しんでくれるかもしれないという
ひどくエゴイスティックな気持とともに。

子どものこともそれでずいぶん
不安にさせてきただろう。

身勝手と虚無。

これは、
無価値感。
親密感の恐れに繋がるもの。

私は思い出のあの草むらに
自分の一部がまだ残ってるんだな、
と思った。
迎えに来てくれて、
開口一番、
心配していた。
愛している。
誰よりも。
だから居ないと困る、
帰ってきてくれ、と言って抱きしめてくれる。
それを夢見て座り続けている
悲しい子ども。

でも、
迎えにいくのは
他でもない、私だ。

私しかいないんだ。
だって、私が作ってしまった思い込みなのだから。

あなたは愛されるべき人間だ。
大事にされるべき人間だ。

だけどそれは他人に言われるのではなくて、

自分で、
私は大事だ
私は愛されている
私は好きなところにいて、
何をしても
どこででも幸せでいることができる
強い子なんだ、と
思っていくことが必要なんだと思う。

人に求めると
その人が居なくては生きられなくなる

場所に求めたら
がっかりすることばかりになる。

あなたはきっと、一生
その不足、その寂しさの中に
生きるしかなくなる。

大丈夫だ。
いつでも私がついてる。
だから、私の中に戻っておいで。

今までも夢の中で何度か目にしていた。

洞窟の檻の中の女の子

置き去りの子ども

誰もいない街の中を彷徨う風景

みんなきっと同じだ。


彼女がうんというまで
何度でも探しにいく。
何度でも迎えにいく。

忘れてしまっても、
まるではじめてのことのように
また同じことをいう。

そして、
本当に大事なことは、
試すことではなくて、

自分を信じて
自分を生きることなんだと
やって見せていく。

その子は寂しい私のコア。
だから、その子に私という大人を
信じさせてあげることが必要。