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毎日出会うモノコトヒト、から何かを感じる自分を観る。言葉遊び

カウンセリング覚書2019/04/22

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家出ばかり繰り返していた。
その気持ちが消化されず
インナーチャイルド的に
隠れてるのに気がついたのが
つい先日でそこから
いろいろ深堀していった。

感じてみてくださいといわれた、
私のハートはポッカリと空洞で、
丹田は寂しいと萎んでいた。

私はいないほうがいい、という言葉を
カウンセラーから
丹田に向かって響かせられたとき、

感情的には落ち着いているのに

右目だけが勝手に痙攣し、
その右目から涙が次々に溢れてきた。


大変長時間に及ぶカウンセリングになったのだけど、

そこから最終的に
可能性として感じたのは

私が本当は
ずっと怒っていたこと。

その怒りを分離させてなるべく
感じないように
して生きていること。

本来は
リーダーシップというか、
強い推進力と独善性(正義感)、
コントロール欲求を
持っているということ。

だけど、怒りも本来の強い性格的リソースも、
私は顕すのをとても怖がっていて、
それを出すと責められたり、叩かれたりすると思い込んでしまっている。

それらは私の生命力そのもので、
押さえつけるのにとてもエネルギーを使う。

他のことが出来ないほど抑圧に力がいるし、

抑圧、分離させてしまうことで
私は生きるのに必要な力も
自己肯定感も失ってしまっていたように思う。


自分がわからないはずだ。

生きるのが苦しいはずだ。

怒るタイミングがわからないはずだ。

自分の強い半身を切り捨てて、
寂しいはずだ。

タナトスに蝕まれていくのも無理ない
かもしれない。

友人が言うには
生存権とか基本的人権とかレベルの
最低限度の人の感覚、感情的なベースから
私は随分落っこちていて
もう少しで生きていくのが難しいレベル。

自覚はあるか、と。
ありありです。

もっと怒っていいんだ、
主張していいんだ、

ずっと抑えていたから、
取り扱いに慣れないと
怖いだろうし、
最初は難しくて
出しすぎたりしちゃうかもしれないけど。
でも出す練習をしたほうがいい、とのこと。

そういうものを出して、感じて、受け入れると、
その後本来の強さが現れてくるかもしれない、
とのことでした。

もう私は大人なんだ、
それらを怖れていた時の小さな私ではないのだから、
大人の私は自分が恐れていたリソースを
うまく使えるようにすることが出来るのだ。


子どもの自分と
大人の自分を同じにしない。
分けて扱うようにとのこと。