今日の光 明日の風

毎日出会うモノコトヒト、から何かを感じる自分を観る。言葉遊び

不思議な感覚

久しぶりに一人で自由な時間を過ごす。
こどもの受験付き添いで、送ってしまえば
別にやることもなく、
終わるまではぶらぶらしようかなと。

最近不思議なことがある。

突然、なにもないのに
すごい多幸感が沸き起こる感覚があって、

突然スキップしたくなったり、
なんて幸せなんだ…と泣きそうになる。


現実は今のところ、
そうでもないのだけど

今まではどこまでも落ち込んで
出来ないことを自責していたところを

好きな音楽を聞いて
単に気分を変えるようにした。

落ち込んでいくのを止められない
自責し続けることは
自分に関して言えば、
ある意味もう単なる惰性のように感じてて、
いつまでもそんなことをしてる暇もったい無い、と思うようになったため。

もう十分だ。
軽やかに、楽しむこと。

そんな風に思うようになったのは、生活の8割方を仕事場と家族の世話とに明け暮れて、
一層自分の時間の作り方を意識するようになったからかもしれない。

アラフィフていいな、生命力が枯れていくとともに、手放せるものもある。
これからこそ、楽しさを生きよう。

8年前、プロセスワークのセッションで、
暗闇の中で怯えて種のように閉じこもって
小さくなっていた私は
はしごを登って登って、雲の上に出た。

そこで雲の端に腰掛け、
おひさまの光を浴びながら
心地よい、楽しい、嬉しい、という気持ちを取り戻した。
その時の私は5歳くらい(のイメージ)で、
ワークの終わりに
その感覚をこちらの世界でつかえるように、
お土産としてなにか持って帰ってきてください、と言われて、
雲の端で下の世界を眺めながら機嫌よく足をぶらぶらぶらさせる、その仕草を持ち帰った。

以降、嬉しかったり楽しいと、なんとなく座りながら足をぶらぶらさせてしまう、ことになったのだけど(笑)

先日友人が、新しいカードを買ったから、と
引かせてくれたときに
出たカードは、
その雲からジャンプすることなのか?、
と今日初めて思いついて見返した。

もう大人になったんだね。
変容の蝶と一緒に、私も飛ぶのかもしれないね。

喜びのピークは一つではないんだよ、
沢山訪れる、と友達が言ってくれて、

最近の謎の多幸感もその喜びの予兆かもしれないと、思った。

そういえば、現実が変わり、夢が叶う前に
幸せの感覚が先に訪れます、と、
YouTuberがいってたな、と思った。

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