今日の光 明日の風

毎日出会うモノコトヒト、から何かを感じる自分を観る。言葉遊び

自分に正直に

生きるのが苦しくて、
結局は生きていくなら現時点を把握して対策する、と意を決して、心療内科に行ったら
あっさり鬱(状態)の診断が降り、
休職の診断書をもらった。

これからどうしよう…
それを考える時間をつくれたと思ってはいる。

考えてみたら、
私はもうずっと
この社会、自分のいる世界に
違和感だったし、疎外感を感じてた。
良い子にしてても、
ちょっとハメを外しても、
あんま変わらない。

そして311が起こって
そこからずっともう諦めるために生きてたな、
と思う。
適応できない、
容認できない、
だから、この上っ面でバカバカしい
軽薄な社会の中で
嘘をついて擬態して生きていくと
決めてしまったけど、
それが結果としてどんどん自分の場所を狭めて
息苦しくしていたんだ、と今思う。

根っこを抱えながら違う樹を接ぎ木して
花を咲かせようとしても、
数年経てば根っこのもつ性質が接ぎ木を侵食して
元の品種の特徴を表してくるように

私もまた自分の根っこを隠しきれなくなったのかも。

これからどう生きよう。

隠しきれないそれを認めながら
それでも元の場所に戻るのか。

自分が生きやすそうな
新しいパラレルワールドを選択するのか。

誰かを傷つけないでは進めないかもしれない。
でも、そうしなければ
私はずっと自分を傷つけ続ける?

心を変えれば生き方も変われる?
今の生き方、環境も受け容れられる?

それとも、
今捨てられないこだわりを
私自身だと信じて進む?

自分に正直にというのは難しい。

そもそもの自分がよくわからないのだから。

それはもしかしたら、
絶対何があっても良い事しか起こらないとか、
何事も失敗はない、とか
そういうポジティブな世界観が
自分の中にないからかもしれない。

信じる勇気というか。

どのポジションにも意味があり
メリットデメリットがある。
どの深みまで潜れば「自分らしさ」なのか。

だから、どれも選べないのだ。

欲張りなのかもしれないけれど、
もう傷つけたくも傷つきたくもない。

どうにかなるその過程を
耐えられる気がしない。

20210427